嫌煙家だけど、煙草を吸ってみた時の話
私は煙草が嫌いだ。いわゆる嫌煙家だと思う。
煙の臭いがとても嫌で、煙草を吸っている人の体臭も受け付けられない。ホテルに泊まるときですら喫煙可能な部屋を避ける。服に煙草の臭いが着くのが嫌だった。
就活を普通にしていた去年の夏頃、東京都内の安ホテルに宿泊したのだが、ホテルに到着して間違って喫煙可能な部屋を予約していたことに気付いた。
その時はホテルも満室状態で、禁煙の部屋に移動することもかなわず、そのまま部屋に案内された。
扉を開けると本当に煙草のにおいで充満していて、備え付けの消臭剤を部屋中に撒いて空気清浄機をマックスにした。そうすると、なんとか使えるぐらいにはにおいが消えた。それでも、東京から家に帰ってきてトランクを開くと、煙草のにおいがムワァと漂ってきて努力むなしく、煙草のにおいに敗北したのであった。
それくらい煙草が嫌いなのだが、どうしても吸いたくなった時期がある。
それは卒論を書いている時期のことだった。
就職もうまくいかず、家と大学の往復をして、日々時間を持て余していた。自分の将来がどうなるか分からないという不安に加えて、大学の卒業がかかった論文を提出しないといけないというプレッシャーが心を不安定にさせた。
何度も何度も卒論を提出せずに、わざと大学を留年しようと考えた。そうしたら新卒という処女性を守れるし(社会は処女厨だと思っている)、就職まで一年時間を延ばせるし一石二鳥じゃないか!と本気で思っていた。
でも、根っこの方で「親に学費を払ってもらっている分、そんなことをしてはいけない」という自分の無駄な真面目さがそうはさせなかった。だから、仕方なく、パソコンに向かって論文に取り組んでいた。
しかし、そういった単純作業にどんどんと追い詰められていった。
大学に行って誰とも会話せずに家に戻って卒論を書く。
訳もなくイライラして、人に当たりたくなった。
そのころは友達と会話することも減っていたから、話し相手が本当に誰もいなかった。そのため、自分の気持ちを発散する場所がなく、仕方なく自分の心の本棚にしまい込んでいたら、心の容量がオーバーしてしまい気持ちをきちんと収納することが出来なくなった。
漏れ出した感情は身体にも影響してきて、元気に動き回るどころではなく、姿勢もなんだか縮こまってしまった。
とにかく、あの頃はストレスが多くて、毎日が不安だった。
何もできない自分と向き合う時間が多すぎて、辛くてしょうがなかった。
自分とばかり向き合ってたら人はおかしくなってしまうのだと思う。
やっぱり、人との関係性が正常であれば、自分を見失いはしないのだろう。
私には正常な人間関係を構築することは、苦手な数学の問題を解くよりも随分と難しいことだった。
そうしたなかで、どうやったらこのイライラを解消できるのか沢山考えて、考えて、考え抜いた結果煙草に行きついた。
あれだけ嫌いだったのに、煙草を吸おうと決めた。
アルコールは後を引くし、二日酔いするぐらいまで飲むのが嫌だった。何より慢性的な片頭痛もちで、頭痛が何よりも敵であった。
酒か煙草か、の2択で何よりも嫌いな煙草を選択した。現実から逃げられるならなんでも良かった。
とある日、目が覚めた途端に、頭の中が煙草のことでいっぱいになった。朝起きてすぐに着替えて、近くのコンビニで一番手が出しやすいとネットで事前に調べた軽めのたばこを頼んだ。
コンビニ店員のおばちゃんは、ぎょっとしていたけど(私が真面目そうな風貌だからか、それとも未成年ぽく見えたから驚いたのかどうかは分からない)、すぐに用意してくれてさっさと会計を済ませた。
部屋ににおいが残るのは嫌だから、12月の寒空の下、ベランダで初めて煙草を吸った。本当に寒くてがたがた震えながら吸った。
初めて吸った感想は、率直に言うとまずい。
重度の甘党で、甘い物をよく好んでいたから、口の中に残る独特な苦みが受け付けなかったし、煙にむせ返った。
それでも煙を吸って吐いてという行為を繰り返していたらいくらか楽になったような気がした。
吸っている間は、私を取り巻く全てが煙に乗ってどこかに消えていくような気がした。
就活で東京駅に行ったときに、大きな喫煙所を見たことがある。(東京には詳しくないので、記憶違いだったら申し訳ない)
あの中に入って隔離されながら沢山のスーツを着た、立派な大人が煙草を吸っているのを見て、まるで動物園だなと本気で思った。
こうやってたくさんの人が行き交う中で、見られていることも気にもせず、透明なカゴの中でみんなであつまって煙草を吸っていると思うと凄く滑稽に思った。
でも、初めて煙草を吸ってみて、何となくあの喫煙所にいる人たちの気持ちも少しは分かった気がする。
吸っている間は気が紛れるのだ。何も考えなくていいし、ストレスから少しは解放されるような気がする。あくまで、そんな気がするというだけだけど。
みんな何かから逃げたい時があるんだなと思った。
誰かと闘っている時くらい息抜きしたっていいよなとも思った。
東京で戦う大人は、やけに立派に見えた。
あの時買った煙草は、今は本棚の奥底に眠らせている。
初めて吸った日から数本吸ってみたけど、やはりおいしさは分からないし、不味いと未だに思う。
喫煙者にとっては値上がりだとか禁煙席の拡大だとかで肩身が狭い世の中なのかもしれない。
でも、世の中にはいろんな形をした逃げ場所があってもいいんじゃないかと思う。それが喫煙所であれ、どうであれ、人間は力を抜く場所が必要なんだよ。世間的にはダメ人間でも必死で歯を食いしばって生きてんだ。そういうのを認めてもいいじゃないか。
煙草を吸ってみて吸うことに理解はできるようになったけど、私は相変わらず煙草は嫌いだ。
煙草を吸わなくても正常に生きていけるような強さが欲しいと思う。
でも、結局は弱いままでいるので、あの時買った煙草を捨てられずにいる。