人生に打ちのめされたけど、人間やってます。

人生の空白期間をこの1年として、その中で考えることを書き綴ります

絶望した時こそ人と話をすることの大切さがわかった話

20日晴れ。

今日は睡眠薬を服用せずに3時間寝た。朝方5時頃に気を失うように眠りにつき、8時のアラームで気持ち悪さと共に起きた。

この日はキャリタスのエージェントとの面談があった。前回落ちた企業の募集を紹介してくれたところだ。

選考結果のメールを見て絶望に打ちひしがれて、「紹介してくれてありがとうございました」なんて気取った返信をした数分後に、不格好に泣きながらすがるようにメールを送った。就活のサポートをしてくれないかと藁にも縋る思いで頼んだ。

そうするとすぐに日程の調整が出来て、すんなりと面談の予約が取れた。

起きた時は眠気と気持ち悪さで行きたくなかったけれど、ここでベッドに沈んだままだと何も変わらず部屋で泣いてるだけの私が簡単に想像できた。その自分を振り払うようになんとか気合いで起き、薄いメイクをして、不安を和らげてくれるという漢方を急いで飲んで家をでた。

駅近のコンビニに入ると朝から店員のおばちゃんがとても笑顔で丁寧に接してくれた。まさかおばちゃんもこんな人生に絶望している人間を接客しているとは思うまい。だがそんな人間には、たとえ仕事上の接客でもうれしく思えた。ありがとう、おばちゃん。とても元気を貰えました。

そうやってちょっとしたことに感動して、のんびりとコンビニを出ながら時間を見ると電車到着ギリギリの時間になったから慌てて階段を駆け下りて電車に飛び乗った。

電車にはリクルートスーツとベージュのトレンチコートを着た就活生が沢山乗っていた。その姿がなんとなく輝いて見えた。

 

キャリタスに来社すると、とても感じの良いエージェントの人が出迎えてくれた。電話でもメールでも、親身になってくれたからいい人だなとは思っていたけど、実際に会うと思っていた通りの人だった。

マイナビ新卒採用の担当者が死んだ目をした信頼できそうにない若い男性だったから余計にギャップがすごかった。やっぱり、本当に頼りになるかどうか、信頼できるかどうかっていうのは言葉や雰囲気で伝わってくるものだと感じた。

 

キャリタスでは軽いアンケートに答えて、改めて面談をした。

この前採用に落ちてしまった企業のことも話した。

最後の最後まで悩んだけど、結果駄目だったそうです。とのことを、また直接言われたけれど、ダメージは少なかった。むしろ「あはは、そうですね。残念でした、本当に」くらいの強がりは言えた。むしろメールに書いてあった淡々とした文章を見た時の方がつらかった。あれはぐっと心に来た。

私の要望はどんなものか、とか、どういった職業を希望しているかとか、いつもの質問に答えているときもエージェントの人はものすごく真剣に相槌を打ってちゃんと聞いてくれた。

世間に打ちのめされて、絶望している人間が、まともに社会で働いている人と会話をするとやっぱり「差」というものを感じてしまうのだけれど、そういった絶望している時こそまともな人と話をして自分の思考をクリアにしていく事が大事なのだと思った。

エージェントの人はちゃんと職業を紹介してくれると約束してくれたし、私が今抱えている悩みについても実体験を交えながらちゃんと答えてくれた。

四六時中メールが来て、携帯を横において寝ているという。自分も極度のスマホ中毒だが、四六時中仕事のメールが来るスマホなんて、勢い任せに窓から放り投げてしまいたくなる。それでも、学生の就活のサポートをして「おかげで就職出来ました」と言われるととても嬉しいという。

本音と建前がちょうど半分に混ざったようなことを言ってくれたが、素直に凄いなと思った。これが社会人なんだと感じた。

こういう暗い闇の底にいると、他の人がまともで輝いているように見えるけど、実際はみんな歯をくいしばって社会で耐えている。全てが理想通りじゃないけれど、やらなきゃいけない。そうやってみんな生きている。

そういう風に私はなれるだろうか。

まだ、分からない。

 

エージェントの人は、ハローワークに行くことを薦めてくれた。情報源は多ければ多いほど良いと教えてくれた。

午前中から面談に行って、そのあとは時間が空いているから、ハローワークに立ち寄ることにした。

面談が終わってエレベーターに乗って、何気なくビルに入っている会社の名前を見た。その一つのなかに、以前勤めていたバイト先の先輩が現在勤めている大企業の会社の名前があった。かなり給料を貰っていると前に教えてくれたから大変うらやましく思った。先輩はかなり出来る人だったから、こんなでかいビルで働ける人は本当に限られた人だけなのだなとも同時に思った。身の丈を知ることも時には重要だ。

 

人生で初めてハローワークに行った。

 

ネットでしか見たことが無い文字だ。

「ハロワ行け」無職同士がお互いを罵倒する文言でしか見たことが無かった。

既卒3年目のフロアは自分が想像している以上に若者であふれていた。リクルートスーツを着ている人や、私服の人、本当に私と同じ年代の人たちがたくさんいた。

今まで、孤独で、仕事を探しているのは自分だけのような感覚に陥っていたから、似たような境遇の人はたくさんいるのだと思うと安心した。

面談を受ける時には、もちろんアンケート用紙やら面談用紙に答えた。まだ卒業式は迎えていないが、自分の面談用紙に既卒のハンコが押されると、とても悲しく思えた。

自分は一切何も変わっていないのに、これからは新古車みたいな扱いを社会では受けるらしい。社会の波に乗り切れず、打ちひしがれて、でも無様でもいいから社会にどうにか入っていこうとしているのに、新古車扱いだ。なんて無情なものなんだろう。

でも社会は驚くべき処女厨だから、入社する年数が少し違うだけで、「おまえ非処女だろ」なんていう差別をしてくる。ひどいやつだ。本当にひどいもんだ社会ってやつは。

新卒の人と一体何が違っているのか分からなかった。

卒論を出すか出さないかで迷っている時期があったから、その時に思い切って計画留年をしなかった自分をものすごく責めた。いまごろ卒業をしたくないと言ったら、大学は認めてくれるだろうか。卒業証書を受け取らなければ、まだ大学に在籍しているということにはしてくれないんだろうか。

 

そんな思いを面談までの待ち時間ぼんやりと考えていたら、自分の番号を呼ばれた。郵便局で順番待ちをしている時のあの感じと全く一緒だった。

面談してくれる担当者の方は、感じのいいおばちゃんといった感じだった。

会って数秒しか話していないけど、なんでも相談に乗ってくれそうな優しい雰囲気があったし、実際にそうだった。

居場所もやる気も目標もない私に、「何月までに内定取りたい?」とかちゃんと目標を与えてくれて、毎週来てほしいと目をまっすぐ見て言った。

都合のいい時間帯を聞かれて今までは午後を選択していたけど、「ちゃんとした人間」は朝から活動しているので「午前が都合がいいです」と答えた。ほんとうにほんとうに小さいことだが、自分の中では確実に進歩していた。

今日は軽い面談だけで、来週から本格的に始めてくれるという。

私が書いてあった趣味の欄を見て、自分も同じ趣味だと言ってくれた。ちなみに野球観戦が趣味だ。超絶インドアなのに野球観戦の時は東にも西にも足を運ぶ。

私はヤクルトファンで、おばちゃんは阪神ファンだった。「なかなかコアなところが好きだね」と言って「阪神今年のオープン戦はダメなんだよね」と自虐した。私は苦笑いした。実際昨シーズンはヤクルトが2位で、阪神は最下位だった。でも、あんまり阪神ファンを刺激をするといけないから黙った。

でも、私の周りには阪神ファンが多い。というよりヤクルトファンにはめったに会わない。どこに隠れているんだかしらないが、本当に会わない。

他球団ファンにはよく出会うが、特に阪神ファンは多い。阪神ファンを惹きつける縁があるのかもしれない。

大学2年の時に好きになった人も阪神ファンだった。今でもちょくちょく遊んでいる。

人生で何度も阪神ファンに出会うのも何かの縁だと思った。

話がそれてしまったので、話を戻す。

 

人生に本当に絶望して何もしていないのに涙が出てくるような真っ暗な週明けを過ごした。

企業に断れるたびに社会から「お前なんかいらないんだよ!」と無言で言われているような気にもなった。本当に自分が無価値な存在のように思えたし、周りと比べると劣っているような気がして自分を責めた。

でも、今は、また性懲りもなく社会に入ってやろうと思い始めている。

自分の話を聞いてくれる誰かがいるだけでも、心強かった。

相談相手がいるというだけでも人は救われるらしい。

ハローワークを出た時は、重かった心が今朝よりも軽くなっていた。

 

家までの帰り、ガラガラの電車の中でオードリーの若林が書いたエッセイ「社会人大学人見知り学部 卒業見込」を読んだ。心が落ち着いた。自分と似たような人がこうやってメディアで活躍をしていると思うと不思議な気持ちにもなったが、こうやって自分の感情を作品として共有してくれたことが有難かった。どこにも救われない気持ちを代わりに本を通して伝えてくれるような気がした。

本を読んでいる時に、母親からラインが来た。その時に、「ちゃんと就職の面談に行ってきた」と言うことを伝えた。

母親の前で泣いたり、部屋で一人で死にたいとばかり言っていたから、安心させるためにも言った。

去年の今頃からちゃんとやっていればと思うけれど、人よりも学ぶペースが遅いから仕方がない。母親は行ったことを褒めてくれた。少しは安心してくれただろうか。分からない。でも着実に前に進もうとしている。

 

最寄りの駅のエレベーターに乗っている時に鏡を見た。

目の重さが無くなって、生気を取り戻しているように見えた。

今朝は憂鬱そうな重い目をしていたと思う。

自分の気持ちはちゃんと良い方向に変わっているのだと、信じたい。

人よりも遅くて、出来が悪いが、今日も必死で生きている。

ずっと返せずにいた大学の就活課へのメールも返信できた。

自分をほめたい。

少しづつ、少しづつ、前を向いていきたい。

いきなり向いてしまうと、心がぽっきり折れてしまいそうだから、ゆっくりと人の手も借りつつ進んでいこうと思う。

 

ちなみに今日は神宮でヤクルトと阪神の試合があった。

試合は阪神に圧倒的なリードを許しており、ヤクルト投手陣は阪神打線のバッティングピッチャーのようになっている。

ハローワーク阪神ファンのおばちゃんに苦笑いをしたあの時の自分を殴ってやりたい。

でも、どんなにだめでも、ずっと応援するからな。がんばれヤクルトスワローズ

そして私もがんばろう。どんなに燃えても、燃えカスから這い上がってやろう。

嫌煙家だけど、煙草を吸ってみた時の話

私は煙草が嫌いだ。いわゆる嫌煙家だと思う。

煙の臭いがとても嫌で、煙草を吸っている人の体臭も受け付けられない。ホテルに泊まるときですら喫煙可能な部屋を避ける。服に煙草の臭いが着くのが嫌だった。

就活を普通にしていた去年の夏頃、東京都内の安ホテルに宿泊したのだが、ホテルに到着して間違って喫煙可能な部屋を予約していたことに気付いた。

その時はホテルも満室状態で、禁煙の部屋に移動することもかなわず、そのまま部屋に案内された。

扉を開けると本当に煙草のにおいで充満していて、備え付けの消臭剤を部屋中に撒いて空気清浄機をマックスにした。そうすると、なんとか使えるぐらいにはにおいが消えた。それでも、東京から家に帰ってきてトランクを開くと、煙草のにおいがムワァと漂ってきて努力むなしく、煙草のにおいに敗北したのであった。

 

それくらい煙草が嫌いなのだが、どうしても吸いたくなった時期がある。

それは卒論を書いている時期のことだった。

就職もうまくいかず、家と大学の往復をして、日々時間を持て余していた。自分の将来がどうなるか分からないという不安に加えて、大学の卒業がかかった論文を提出しないといけないというプレッシャーが心を不安定にさせた。

何度も何度も卒論を提出せずに、わざと大学を留年しようと考えた。そうしたら新卒という処女性を守れるし(社会は処女厨だと思っている)、就職まで一年時間を延ばせるし一石二鳥じゃないか!と本気で思っていた。

でも、根っこの方で「親に学費を払ってもらっている分、そんなことをしてはいけない」という自分の無駄な真面目さがそうはさせなかった。だから、仕方なく、パソコンに向かって論文に取り組んでいた。

しかし、そういった単純作業にどんどんと追い詰められていった。

大学に行って誰とも会話せずに家に戻って卒論を書く。

訳もなくイライラして、人に当たりたくなった。

そのころは友達と会話することも減っていたから、話し相手が本当に誰もいなかった。そのため、自分の気持ちを発散する場所がなく、仕方なく自分の心の本棚にしまい込んでいたら、心の容量がオーバーしてしまい気持ちをきちんと収納することが出来なくなった。

漏れ出した感情は身体にも影響してきて、元気に動き回るどころではなく、姿勢もなんだか縮こまってしまった。

とにかく、あの頃はストレスが多くて、毎日が不安だった。

何もできない自分と向き合う時間が多すぎて、辛くてしょうがなかった。

自分とばかり向き合ってたら人はおかしくなってしまうのだと思う。

やっぱり、人との関係性が正常であれば、自分を見失いはしないのだろう。

私には正常な人間関係を構築することは、苦手な数学の問題を解くよりも随分と難しいことだった。

そうしたなかで、どうやったらこのイライラを解消できるのか沢山考えて、考えて、考え抜いた結果煙草に行きついた。

あれだけ嫌いだったのに、煙草を吸おうと決めた。

アルコールは後を引くし、二日酔いするぐらいまで飲むのが嫌だった。何より慢性的な片頭痛もちで、頭痛が何よりも敵であった。

酒か煙草か、の2択で何よりも嫌いな煙草を選択した。現実から逃げられるならなんでも良かった。

とある日、目が覚めた途端に、頭の中が煙草のことでいっぱいになった。朝起きてすぐに着替えて、近くのコンビニで一番手が出しやすいとネットで事前に調べた軽めのたばこを頼んだ。

コンビニ店員のおばちゃんは、ぎょっとしていたけど(私が真面目そうな風貌だからか、それとも未成年ぽく見えたから驚いたのかどうかは分からない)、すぐに用意してくれてさっさと会計を済ませた。

部屋ににおいが残るのは嫌だから、12月の寒空の下、ベランダで初めて煙草を吸った。本当に寒くてがたがた震えながら吸った。

初めて吸った感想は、率直に言うとまずい。

重度の甘党で、甘い物をよく好んでいたから、口の中に残る独特な苦みが受け付けなかったし、煙にむせ返った。

それでも煙を吸って吐いてという行為を繰り返していたらいくらか楽になったような気がした。

吸っている間は、私を取り巻く全てが煙に乗ってどこかに消えていくような気がした。

 

就活で東京駅に行ったときに、大きな喫煙所を見たことがある。(東京には詳しくないので、記憶違いだったら申し訳ない)

あの中に入って隔離されながら沢山のスーツを着た、立派な大人が煙草を吸っているのを見て、まるで動物園だなと本気で思った。

こうやってたくさんの人が行き交う中で、見られていることも気にもせず、透明なカゴの中でみんなであつまって煙草を吸っていると思うと凄く滑稽に思った。

でも、初めて煙草を吸ってみて、何となくあの喫煙所にいる人たちの気持ちも少しは分かった気がする。

吸っている間は気が紛れるのだ。何も考えなくていいし、ストレスから少しは解放されるような気がする。あくまで、そんな気がするというだけだけど。

みんな何かから逃げたい時があるんだなと思った。

誰かと闘っている時くらい息抜きしたっていいよなとも思った。

東京で戦う大人は、やけに立派に見えた。

 

あの時買った煙草は、今は本棚の奥底に眠らせている。

初めて吸った日から数本吸ってみたけど、やはりおいしさは分からないし、不味いと未だに思う。

喫煙者にとっては値上がりだとか禁煙席の拡大だとかで肩身が狭い世の中なのかもしれない。

でも、世の中にはいろんな形をした逃げ場所があってもいいんじゃないかと思う。それが喫煙所であれ、どうであれ、人間は力を抜く場所が必要なんだよ。世間的にはダメ人間でも必死で歯を食いしばって生きてんだ。そういうのを認めてもいいじゃないか。

 

煙草を吸ってみて吸うことに理解はできるようになったけど、私は相変わらず煙草は嫌いだ。

煙草を吸わなくても正常に生きていけるような強さが欲しいと思う。

でも、結局は弱いままでいるので、あの時買った煙草を捨てられずにいる。

朝早く起きた時に考えるSNSのこと

睡眠・覚醒リズム表を貰った。

心療内科で夜に眠れないと告げたら、紙を渡された。

これで睡眠を管理しろとのことだった。

2018年の夏頃から昼夜逆転生活が始まり、今の今まで引きずっている。

先生に言われた通り記録するようになったが、一体なんの意味があるのか分からなかった。

金曜日に睡眠薬を処方されたが、お金がなく体調も悪かったから、間を開けて月曜日に受け取った。

月曜日は自分にとって地獄に突き落とされた日で、心がどうしようもなく押しつぶされそうだった。

何も考えていないのに涙が出て、自分がひどく惨めに思えた。

それでも薬を飲んで3時間は寝た。

土日は普通に眠れたけど、薬を飲んでなかったら月曜日は眠れそうにもなかった。

薬を飲んだけど生活リズムを元通りにするものだから、こうやって朝っぱらからパソコンで自分の気持ちを綴っている。

そうしないと自分がもたない。

1人で抱えているには壊れてしまいそうだ。

Twitterには自分の状況など書き込めない。

Twitterは今や現実の社会と一緒のようなものだ。

(しようと思えば)誰でも見て、誰でも私に関与できる。日本だけじゃなくて海外の人でも私に干渉出来る。

どこぞに住んでるやつにとやかく言われるとうんざりする。自分が偉い訳でもないのに、グダグダと人に絡んでくるやつはリアルではだいたいしょうもないことが多い。(めちゃくちゃな偏見だが、実際そうだと思う)

ときどきSNSを通じて人の気分の変化がダイレクトにつたわってくると頭がおかしくなりそうになる。

バズっているツイートを見ると、ちょっとしたことで怒られたり引用リプでぐだぐだと正論を吐かれたりしている。

みんな正論しか必要としてないし、正論しか言わないしいつも何かに怒ってる。だいたいバズってるツイートには1件は必ずクソリプと言われるしょーもないリプライがついている。

絡まれた当事者はよくツイートを消さないでいられるな、と思う。

こんなことが何十件と続くのは正直おかしくなっても仕方ない。

ある種目立ちたがり屋には丁度良いのかもしれない。

私には耐えられない。

見知らぬやつからぐだぐだと説教されるのは、ごめんだ。

本来ネット空間とは間違っていても許されるところだったはずだったのに、今や現実世界と同じようなものになった。

失敗をすれば一斉に責められるし、常にだれかに見つかる可能性がある恐ろしい空間に成り下がってしまった。

同じレベルの人間が、お互いにマウントを取ろうと必死になっている。

もうやめてくれ。

誰かの居場所をくだらないプライドで奪おうとしないで欲しい。

 

中学生の頃に初めてTwitterに登録した。

テレビか何かで特集されていたのを見て、純粋に面白そうだからやってみたいと思って始めた。

SNSはもとより好きだった。

おそらく自分はSNS中毒だ。

それほどいろんなSNSに登録した(ほとんどはもう退会している)

当時、ロックバンドや海外サッカーにハマっていて、アーティストの動向や海の向こうの事に興味がある時期だったから本当に重宝した。

あの頃は、ガラケーで操作していたから、人口は今よりもいくらか少ないコミュニティだったと思う。

小さいコミュニティのなかで同じ趣味の人とは思っていたよりも簡単に繋がれた。

特に女性で海外サッカー好きなんてなかなか居なかったから、学校ではできないような話が出来ることがうれしかった。

自分より年上の人とため口で同じ話題で盛り上がった。(一応ため口で話していいかは聞いた)

短文で何度投稿しても良い。それが魅力だった。

学校が嫌いで、うまくいっていなかったから、すごく助けられた。

自分の気持ちを吐き出せる空間があるだけでもありがたいと思った。

 

2011年の3月、大震災があったときに、Twitterを利用して震災の情報の共有をしたことを今でも思い出す。

直接自身に被害があったわけじゃなかったけれど、情報共有のためにと普段ネットの向こう側にいるアーティストが自分のツイートをリツイートしてくれた。

あの時はすごくSNSが良いものだと感じた。

顔も名前も知らないけれど、お互いを思いやって人と協力することの喜びというものを実感した。

誰かが誰かの力になろうとする、人間本来のあり方というものを見たと思う。

 

だけど、スマホが普及して、SNSがネットを利用しなかった人でも簡単に始められるようになると、あっという間に様子が変わっていった。

ネットにリアルが持ち込まれると、ひどい有様になる。

本来、リアルからの逃避場だったはずのネットでさえ「裏垢」を作らなければ本音を言えなくなった。

誰もがネットの向こう側の素顔を探すようになった。

人の人生がネットのせいで壊れるのを毎日のように見た。

この前も誰かが犠牲になっていたのに、また今日も誰かが犠牲になっているのかと思った。

誰かが誰かを謝らせようと必死になっていたし、みんな何かに悩んでいた。

ニュースでは無差別乱射事件とかテロだとか、やっているけれど、ネットでも似たようなことが起きていると思う。

でも誰も気に留めない。

よっぽどじゃければ、ほとんどは見過ごされる。

ネットは何のためにあるのか考えてしまう。

 

無意味な暴言か、ごはん、飼っているペット、恋人のことなどなど、他人のすべてがネットを通して流れこんでくるようになった。

 

うんざりする。

そんなことは知りたくないしいらないとさえ思う。

時々どころか毎回嫌になる。

 

正直他人がどんな豪華な食事を食べているとか興味もない。

「ワイワイ仲間と楽しく食べました!」という食事とピースの写真とか、乾杯の瞬間を収めた画像とかがTwitterに上がってくる。

そんな瞬間、共有してくれなくてもいいから早く食べろよ。とか、早く乾杯して飲めよ。一口目が一番重要なのになんで写真なんか撮ってるんだろうと思う。

他人に「自分は仲間に恵まれているアピール」をされると鬱陶しく感じてしまう自分がいやになる。

普通に生活していることがとんでもなくうらやましく思う。

 

普通の人がSNSを使うな。リア充(恋人がいるだけでなく本当にリアルが充実している人)はSNSを利用するなとさえ思う。

なんか特別なリア充専用のアプリでもやっててくれよと思う。

そこで勝手に幸せにでもしていてくれよと思う。

昔は自分の趣味とか現状に応じたコミュニティで分けられていたから、他人の現状が勝手に流れてくることはなかったけれど、今は違う。

知りたくないことでも知ってしまう。頼むから幸せを共有してくれるなと思う。幸せはお互いの心にでも閉まっておいてくれと思う。それなのに普通の人は何ともなしにハッピーを共有する。やめてくれ。頼むからオアシスを壊さないでくれ。リア充はだらだらとFacebookかなんかで更新し続けて欲しかった。

SNSを通じてたくさん知ったことがあるはずなのに、どんどんバカになっていくような気さえする。

また自己嫌悪が始まりそうだ。

 

今日は6時に目が覚めた。

目が覚めたとたんに涙が出た。

自分の現実を受け止めるにはまだ心がもたないらしい。

だからこうやって気持ちに整理をつけようとしてブログを書き綴っている。

今日一日、どうにか普通に生きよう。

これからのことを考えるにはまだ心が追い付かない。

どうしようか何も決めていない。

週末には従姉妹の入籍と自分の卒業式もある。

入籍に関しては本人から言われてないし、置いておこう。

勝手に幸せになってくれ。

卒業式は、もう出たくないとか言ってられない。

お金を払ったから、どうにかしないといけないし、出ないといけないが正しい。

親になんと言ったらいいのか分からない。

確か父親は22歳までは面倒を見てくれると言っていた。

もうおそらくここで親子関係も「学生」という身分を捨てると同時に終わりを迎えるんだろう。

父親は私に興味を失っているようだった。

 

こうやってはてなブログでだらだら文句を書いている人が、人生に打ちのめされた翌日から元気に将来のことを考えられるなんてどうか思わないでほしい。

ネットの片隅、端の端の方でいいから、自分の気持ちを吐き出したい。

気持ちがあらぶったら、また更新しようと思う。

就職活動がダメで死にたくなった人間の愚痴

現在大学4年生の私は、いよいよ内定をひとつも貰えないまま卒業式を迎えようとしている。

去年の今頃、就職活動を始めたばかりの思い描いていた自分の姿とはかなり程遠い姿だ。

理想の自分はとっくに内定など決めて、東南アジアやらヨーロッパやらそこらへんの国でバカみたいに写真を撮り、見てもしょうがない建築物の写真をインスタのストーリーにでも上げているはずだった。グラデーションの効いた文字で書かれた位置情報と共に載せているはずだった。

しかし現実は、パソコンの前に座って、画面と向き合ってキーボードをカタカタと操作している自分が情けなくて、みじめな気分でいる。

文章を書くのはそんなに得意ではない。人を引き寄せるような文章が書けるような文才など持ち合わせてもいない。

しかし、今の自分の感情をそのまま心に秘めて置いておくと壊れてしまいそうな気がして

 

この1年、死にたいと何度も何度も思った。

リクルートスーツにアイロンがけをしていると、泣きたいわけでもないのに涙が出てきた。ある時期から突然それが死に装束にも見えた。

「お祈り」メールが何十件と来るたびに、普通に人間として生活することを、社会に認めてもらえないような気分になった。

社会の枠組みには君はいらなくて、必要ないんだよと言われているような気分だった。人間というものは何度も社会に拒絶されると自分の価値なんて簡単に見失う弱い存在なのだと身をもって体感している。

 

死ぬことを考えてみるが、もちろんそんな勇気など持っていない。飛び降りるにしても超がつく高所恐怖症で屋上にすら上がれない。アルバイトは就職活動を理由にとっくにやめているから薬を大量に買うお金もない。ロープは苦しいから無理だし、刃物は痛いし、誰かに頼んでニュース沙汰にしたくはない。電車に飛び込むこともしない。残された親が困るからそんなことしたくない。

 

ここ最近のニュースではどこかに住んでいる顔も知らない学生が自殺をしたという報道をよくやっている。

自分より、若くて、未来もあるような学生たちが死を選んでいる。そんな子たちがいるなかでのうのうと生きている。可哀想だと思う。でも彼・彼女たちの気持ちも理解できる。生きる事より死ぬことの方がずっと楽だと思うときが他人よりも多くあるのだ。

 

前述したが、こんな私でも人並みにインスタグラムやTwitterといった人気のソーシャルメディアを利用している。

画面を下にスワイプすると、自分と同学年の学生の卒業旅行の写真やら内定先の話やらが流れてくる。

自分が欲しかったものが画面の向こう側にあって、楽しさが伝わる文字や画像を恨めしく見ては、友人らのアカウントをミュートしている。今の自分はとても最低な人間なのだ。

 

2018年3月1日、当時は自分のやりたいことも見つからず、訳も分からぬまま人がそうするからというだけでマイナビやらリクナビといった大手の人材派遣会社が主催する説明会の予約をした。

企業のブースを訪れて話を聞いて、何をしているのかをノートに書きこんで、お辞儀をして去るの繰り返し(質問があればする)。

ほかの学生の見様見真似で始めたし、お辞儀の仕方も真似た。一括エントリーで大量に企業に応募した。

すぐに企業からの自動返信メールがきて、マイページのIDとパスワード貰い、説明会の予約をする。それのひたすら繰り返し。

良さそうな企業があれば東にも西にも行った。週に1,2回しか入れなくなったアルバイトで貰ったお金はすぐに交通費で無くなったから、遠くに住んでいる父親や年老いた祖母に毎月のように交通費を頼んだ。

幼いころに両親が離婚しているが、父親は少額だが金銭的援助をしてくれていた。ラインで金額を伝えて返信が来るのを待っていると、口座に交通費を振り込んでくれた。感情もないし伝わりもしないから気が楽だった。父親はもう新しい家庭を築いているから、父親自身があまり私に関わってこようとはしなかった。

ただ、祖母は別だった。祖母は高齢でスマホ操作などできない。ガラケーですらあまりよくわかっていないので、電話で連絡を取るしかなかった。

電話で祖母に「良いところに就職できるといいね」「〇〇ちゃんなら、大丈夫。」と言われるたびに、申し訳ない気持ちでどうしようもなかった。

「おばあちゃん、私は社会から必要とされていないみたいだよ」なんて思っても言えなかった。

私大文系の私じゃ手も届かないような大企業に就職している従姉妹がいるから、同じように良いところに入れるといいねと毎回言われた。みんなが私に期待していたのは、電話越しでもわかっていた。高齢だから、電話をするたびに毎回元気というわけじゃなく、しんどそうな時もあった。そんな祖母に「私じゃ無理だ」とは言えなかった。祖母との電話を切った後は自分がとても情けなくていつも1人で泣いた。

エントリーシートの書き方をインターネットで死ぬほど調べた。「こういう表現ならいいですよ」「こういう表現なら人事に印象がいいですよ」そんなページを何度も見た。高校生ぶりに国語辞書を引きながら、日本語の表現はどれがより良いのかとかも自分なりに考えて調べて書いた。

大学には就職活動を支援してくれる部署があるから、そこに持って行った。

徹夜で書き上げたエントリーシートは特に修正されることもなく、「このままでいいと思うよ」というそっけない言葉と共にあっという間に私の元に返ってきた。

大手の企業の面接にトントン拍子で進んでいるという名前も知らない同級生が、隣で就職課の人に相談している声がやたら大きく聞こえた。

 

内定が無い日々が何か月も続いた。

春はあっという間に過ぎさって、夏が来て、あっという間に夏休みが来た。

就職活動をとっくに終えていた友人たちが、飲みに誘ってくることもあった。

その飲みの席では当然就職活動の話になった。もちろんその話題が大学4年生にとっては重要な話題だからだ。話すことが無ければ、だいたい就職活動の話になる。

そこそこ有名な物流会社の総合職に受かったという友人がきつめの煙草をふかしダルそうな座り方で、スマホを見ているのがとても腹立たしかった。

その子は明るさやガッツを売りにして就職活動をしていたと言っていた。

別の友人が「この姿を写真に撮って企業の人事に送ったらどうなるかな」と冗談を言って笑った。その子は「やめてよ」と笑った。

私もそのやり取りに笑っていたが、内心では実際そうなればいいのにと思った。心は日に日に黒くなっていった。

 

季節が変わっても、私は相変わらずリクルートスーツを着ていた。

【最終募集】、【緊急募集】、【追加採用】のタイトルのメールが来るたびに飛びついた。このころは東京に何度も行った。(もうどこでもよかったが、ブラック企業のうわさがあるところだけは除外した)お金はどんどん無くなっていったから、大学2年ごろにはまっていたソーシャルゲームのグッズをメルカリで売ったりしてその売上金を使った。

毎日が苦しかった。

 

10月頃に、マイナビ新卒採用を利用して、面談に向かった。

死んだような目をした男性社員が相談相手だった。相談相手を選んでいるような立場ではないとは分かっているが、とても信頼できるような雰囲気の相手ではないと何となく思った。

その人は私の話をなんとなく聞いて、希望に合いそうな求人を数件紹介してくれた。募集要項や給与、福利厚生をみると所謂ブラックな条件ばかりだった。正社員を希望しているのに、派遣社員の求人も持ってきた。

「ここを受けます」と言えず黙っていると、その人は「この時期になると、良い求人っていうものは少なくなるものだから」と言った。

当たり前のことを、なんでもないように言われると改めて言われると心に来た。

面談が終わって、また相談してくださいと言われたが、そこに二度と行くことはなかった。

大学では友人と会話することも無くなっていった。

お互いが避けているとかではなく、自然と交流が無くなってしまうような感じだ。自然消滅は友人関係でもあるものだと初めて知った。

私は煙草が嫌いだが、嫌いな煙草をふかすような友人でも話し相手が居ないとつらかった。

口数は減り、誰とも会話をせずに大学を終えるという日々の繰り返しだった。就職課に足を運んだが、担当の人と話していると自分がみじめすぎて泣きそうになるので行く回数が減った。就職課の掲示板には内定が下りたという大手企業の名前がずらりと並んでいて、同じ年齢で同じことを学んできたのにこうも違うのかと絶望した。

このころから、思うように声が出なくなった。

自分の言いたいことが言えず、黙っているようになった。

 

そうこうしている内に年を越そうとしていた。

地元に帰りたかったが、帰るお金もなく、内定が出たといういい話ももってこれない自分が情けなかった。

こういう苦しい時期を過ごしていると「今、何してるの?」とか「内定先ってどんな感じ?」とか聞かれることが非常につらい。

テレビ番組で、芸能人の過去の同級生の現状を教える番組があるが、あれの一体何が面白くて放送されているのか分からない。

もう疎遠になってしまったのなら、放っておいてやれよとすら思う。無神経な深追いが時に人を傷つけるからだ。

 

内定がない事と同じくらいに、お金がない事がつらかった。

バイトは就職活動を理由にやめていたし、4年生から雇ってくれるところは少なかった。

財布には3千円しかないとかごく普通で、外には行けなくなり、家で過ごすことが多くなっていた。

洋服もここ半年は新しいものを買っていない。さすがにいつも履いているスニーカーが履きつぶれた時は、高校生の時に海外に行った時の記念でずっと持っていた外貨を交換して買った。

 

この1年で私の世界は日々縮小していった。

去年の今頃はもう少し希望を持っていたと思う。お金がなく家にいることが増えたから、段々と人と交流を持たなくなって、インターネットを通さないと世界を知れなくなっていった。

会話をする機会もぐんと減った。時々コンビニ店員と会話をするか、人材派遣の人と話すぐらいしかなかった。

どんどん自分が小さくなって、死にたいと何度も考えた。

唯一、私を死ぬことから遠ざけたのは死への恐怖心だった。私は臆病な人間だからその先のことまでついつい考えてしまう。その為、死を連想したとしてもその先のことを想像してしまう。周りの人が私のせいで迷惑を被るのがいやだったし、怖かった。もし私が臆病な人間じゃなかったら、屋上からでもとっくに飛び降りているのだろう。

 

そうこうしているうちに3月が来た。だらだらとスマホを眺めていると求人のメールに9月頃に落ちた企業の採用のメールが来た。

最後の最後に巡ってきたチャンスだと思って、急いで連絡をして、急いで履歴書を書き上げた。

そのころはマイナビからのメールを一切無視して、キャリタスを利用していた。(マイナビが悪いわけではなく私が単に避けていただけ)

キャリタスの人はとても親身だった。メールでも電話でも、私の話をよく聞いてくれた。

その時に「人気の企業だからES通るか分からないけど」と言われた。覚悟はできていた。もうやるしかなかったから。

数日後、キャリタスから連絡がきた。ESが通ったから、採用試験を受けに行ってきて欲しいと言われた。

試験までの数日間生きた心地がしなかった。もうここしかない。そう思っていたから。

 

試験当日、見たことある顔の面接官がやってきた。9月に落とされたが、私の顔なんてもちろん覚えていないようだった。

1次面接はなんとかクリアした。緊張していると伝えて、もうやるしかない。そういう気持ちで臨んだら無事に通った。

 

その日は終日試験だったから、時間が空いてまた面接という形だった。

その時にこれが合格すれば、おばあちゃんにも親にもいい報告が出来ると気合いがはいってしまった。時間がくるまで百貨店のトイレで籠った。企業のパンフレットを読み込んで、がんばろうと思った。

それがいけなかった。

 

最終面接。

声が出なくなった。

頭が真っ白になった。

ずっとずっと気にはしていたけれど、大事なところで声が出なくなった。

何も伝えられず、自分の言いたいことも言えなくてどうにかなりそうだった。

そのあとは、もう何をしゃべったかもわからない。

面接が終わると、その日空いていたすぐに心療内科に駆け込んだ。

もう自分がおかしいのだと実感したからだ。

心療内科の先生に相談したが、分からない様子だった。眠れないことを伝えていたから、軽めの睡眠薬だけもらった。

電車で家に帰り、家で一人で大泣きした。

リクルートスーツを脱ぎ捨てて、声を殺して泣いた。

企業が進んで頭のおかしいやつの面倒をわざわざみたりするわけがないことは明らかだったからだ。

社会は学校じゃないから、一人にそんなに時間をかけてられない。

完成品が欲しいのに、壊れかけのものなんて求めてない。

 

土日を挟んで、キャリタスを通して結果を知った。

私ともう一人で最後まで悩んでいたけど、ご希望に沿うことはできなかった。

と、書いてあった。

あの日まで最終面接に残っていた別の子とは似たような人生を過ごしていたはずだったのに、天国と地獄のようなものだ。

泣かないようにしていても、勝手に涙が出てきてしまった。

 

父親に報告した。

「あと1年がんばる」と言った。

父親は公務員試験を受けろということと、週末に大企業に勤める従姉妹が結婚するからおめでとうのメッセージを入れろと言った。

私は、そのラインを見て涙が止まらなくなった。

幸せを全部つかんでいる従姉妹に対して、今の自分がどうやっておめでとうと言えるのだろうか分からなかった。

「それどころじゃない」とだけ返した。

泣きすぎたことで頭が痛くて、辛くてしょうがなかった。

 

キャリタスの人にすがるような思いで連絡をしたら、面談をしてくれることになった。

今はその希望だけで生きている。