朝早く起きた時に考えるSNSのこと
睡眠・覚醒リズム表を貰った。
心療内科で夜に眠れないと告げたら、紙を渡された。
これで睡眠を管理しろとのことだった。
2018年の夏頃から昼夜逆転生活が始まり、今の今まで引きずっている。
先生に言われた通り記録するようになったが、一体なんの意味があるのか分からなかった。
金曜日に睡眠薬を処方されたが、お金がなく体調も悪かったから、間を開けて月曜日に受け取った。
月曜日は自分にとって地獄に突き落とされた日で、心がどうしようもなく押しつぶされそうだった。
何も考えていないのに涙が出て、自分がひどく惨めに思えた。
それでも薬を飲んで3時間は寝た。
土日は普通に眠れたけど、薬を飲んでなかったら月曜日は眠れそうにもなかった。
薬を飲んだけど生活リズムを元通りにするものだから、こうやって朝っぱらからパソコンで自分の気持ちを綴っている。
そうしないと自分がもたない。
1人で抱えているには壊れてしまいそうだ。
Twitterには自分の状況など書き込めない。
Twitterは今や現実の社会と一緒のようなものだ。
(しようと思えば)誰でも見て、誰でも私に関与できる。日本だけじゃなくて海外の人でも私に干渉出来る。
どこぞに住んでるやつにとやかく言われるとうんざりする。自分が偉い訳でもないのに、グダグダと人に絡んでくるやつはリアルではだいたいしょうもないことが多い。(めちゃくちゃな偏見だが、実際そうだと思う)
ときどきSNSを通じて人の気分の変化がダイレクトにつたわってくると頭がおかしくなりそうになる。
バズっているツイートを見ると、ちょっとしたことで怒られたり引用リプでぐだぐだと正論を吐かれたりしている。
みんな正論しか必要としてないし、正論しか言わないしいつも何かに怒ってる。だいたいバズってるツイートには1件は必ずクソリプと言われるしょーもないリプライがついている。
絡まれた当事者はよくツイートを消さないでいられるな、と思う。
こんなことが何十件と続くのは正直おかしくなっても仕方ない。
ある種目立ちたがり屋には丁度良いのかもしれない。
私には耐えられない。
見知らぬやつからぐだぐだと説教されるのは、ごめんだ。
本来ネット空間とは間違っていても許されるところだったはずだったのに、今や現実世界と同じようなものになった。
失敗をすれば一斉に責められるし、常にだれかに見つかる可能性がある恐ろしい空間に成り下がってしまった。
同じレベルの人間が、お互いにマウントを取ろうと必死になっている。
もうやめてくれ。
誰かの居場所をくだらないプライドで奪おうとしないで欲しい。
中学生の頃に初めてTwitterに登録した。
テレビか何かで特集されていたのを見て、純粋に面白そうだからやってみたいと思って始めた。
SNSはもとより好きだった。
おそらく自分はSNS中毒だ。
それほどいろんなSNSに登録した(ほとんどはもう退会している)
当時、ロックバンドや海外サッカーにハマっていて、アーティストの動向や海の向こうの事に興味がある時期だったから本当に重宝した。
あの頃は、ガラケーで操作していたから、人口は今よりもいくらか少ないコミュニティだったと思う。
小さいコミュニティのなかで同じ趣味の人とは思っていたよりも簡単に繋がれた。
特に女性で海外サッカー好きなんてなかなか居なかったから、学校ではできないような話が出来ることがうれしかった。
自分より年上の人とため口で同じ話題で盛り上がった。(一応ため口で話していいかは聞いた)
短文で何度投稿しても良い。それが魅力だった。
学校が嫌いで、うまくいっていなかったから、すごく助けられた。
自分の気持ちを吐き出せる空間があるだけでもありがたいと思った。
2011年の3月、大震災があったときに、Twitterを利用して震災の情報の共有をしたことを今でも思い出す。
直接自身に被害があったわけじゃなかったけれど、情報共有のためにと普段ネットの向こう側にいるアーティストが自分のツイートをリツイートしてくれた。
あの時はすごくSNSが良いものだと感じた。
顔も名前も知らないけれど、お互いを思いやって人と協力することの喜びというものを実感した。
誰かが誰かの力になろうとする、人間本来のあり方というものを見たと思う。
だけど、スマホが普及して、SNSがネットを利用しなかった人でも簡単に始められるようになると、あっという間に様子が変わっていった。
ネットにリアルが持ち込まれると、ひどい有様になる。
本来、リアルからの逃避場だったはずのネットでさえ「裏垢」を作らなければ本音を言えなくなった。
誰もがネットの向こう側の素顔を探すようになった。
人の人生がネットのせいで壊れるのを毎日のように見た。
この前も誰かが犠牲になっていたのに、また今日も誰かが犠牲になっているのかと思った。
誰かが誰かを謝らせようと必死になっていたし、みんな何かに悩んでいた。
ニュースでは無差別乱射事件とかテロだとか、やっているけれど、ネットでも似たようなことが起きていると思う。
でも誰も気に留めない。
よっぽどじゃければ、ほとんどは見過ごされる。
ネットは何のためにあるのか考えてしまう。
無意味な暴言か、ごはん、飼っているペット、恋人のことなどなど、他人のすべてがネットを通して流れこんでくるようになった。
うんざりする。
そんなことは知りたくないしいらないとさえ思う。
時々どころか毎回嫌になる。
正直他人がどんな豪華な食事を食べているとか興味もない。
「ワイワイ仲間と楽しく食べました!」という食事とピースの写真とか、乾杯の瞬間を収めた画像とかがTwitterに上がってくる。
そんな瞬間、共有してくれなくてもいいから早く食べろよ。とか、早く乾杯して飲めよ。一口目が一番重要なのになんで写真なんか撮ってるんだろうと思う。
他人に「自分は仲間に恵まれているアピール」をされると鬱陶しく感じてしまう自分がいやになる。
普通に生活していることがとんでもなくうらやましく思う。
普通の人がSNSを使うな。リア充(恋人がいるだけでなく本当にリアルが充実している人)はSNSを利用するなとさえ思う。
なんか特別なリア充専用のアプリでもやっててくれよと思う。
そこで勝手に幸せにでもしていてくれよと思う。
昔は自分の趣味とか現状に応じたコミュニティで分けられていたから、他人の現状が勝手に流れてくることはなかったけれど、今は違う。
知りたくないことでも知ってしまう。頼むから幸せを共有してくれるなと思う。幸せはお互いの心にでも閉まっておいてくれと思う。それなのに普通の人は何ともなしにハッピーを共有する。やめてくれ。頼むからオアシスを壊さないでくれ。リア充はだらだらとFacebookかなんかで更新し続けて欲しかった。
SNSを通じてたくさん知ったことがあるはずなのに、どんどんバカになっていくような気さえする。
また自己嫌悪が始まりそうだ。
今日は6時に目が覚めた。
目が覚めたとたんに涙が出た。
自分の現実を受け止めるにはまだ心がもたないらしい。
だからこうやって気持ちに整理をつけようとしてブログを書き綴っている。
今日一日、どうにか普通に生きよう。
これからのことを考えるにはまだ心が追い付かない。
どうしようか何も決めていない。
週末には従姉妹の入籍と自分の卒業式もある。
入籍に関しては本人から言われてないし、置いておこう。
勝手に幸せになってくれ。
卒業式は、もう出たくないとか言ってられない。
お金を払ったから、どうにかしないといけないし、出ないといけないが正しい。
親になんと言ったらいいのか分からない。
確か父親は22歳までは面倒を見てくれると言っていた。
もうおそらくここで親子関係も「学生」という身分を捨てると同時に終わりを迎えるんだろう。
父親は私に興味を失っているようだった。
こうやってはてなブログでだらだら文句を書いている人が、人生に打ちのめされた翌日から元気に将来のことを考えられるなんてどうか思わないでほしい。
ネットの片隅、端の端の方でいいから、自分の気持ちを吐き出したい。
気持ちがあらぶったら、また更新しようと思う。